<地球スケッチ紀行 129> 2013年 8月15日号

サ ハ リ ン ( 旧 樺 太 ) へ 

   布 教 に 渡 っ た 禅 僧 天 野 覺 法 

                  ( ロ シ ア )

 サハリン(旧樺太)への旅は突然やってきた。北海道の北方に
位置し,南北に細長くのびるロシア連邦の東端である。古くは唐
太とも書き、北蝦夷地ともよばれた。宗谷岬からサハリンの南端
クリオン岬までは約43KMのところである。

 この島には、北部ニブヒ、ウイルタ、アイヌなど、早くから大
陸との関係が深く交流していた。

サハリンとは,満州語のサハリムランで、アムール川の意,又樺
太は、カラフトアムイというアイヌ語(神が作った島のあるとこ
ろ)の意である。

 宮澤賢治は,1896(大正12)年夏,郷里花巻から当時日
本の最果ての終着駅まで、亡き妹の鎮魂のための旅をした。見聞
きしたことや道中の出来事が「銀河鉄道の夜」のモチーフになっ
た。

 車窓から眺めるけしきは当時を思わせる雰囲気があり,キラキ
ラ光る湖のある白鳥駅のあたりは湿地帯で、けむりのように湖霧
が立ちのぼっていた。琥珀海岸の名のように琥珀が取れたところ
でもあった。

 ユジノサハリンスク(豊原)は、札幌の碁盤状の街路を模して
町が造られ、美しい意匠の建物が残っていた。樺太庁博物館は,
日本の城郭建築であり、旧北海道拓殖銀行豊原支店は現在美術館
として利用されている。朽ちかけた外壁にへばりつくように残る
文字をみるのは寂しかった。 

 明治11年、愛知県濃尾平野の真ん中にある豊かな家庭の五男
として生まれた天野覺法は、仏門に帰依し,禅僧として仏法を広
めるために樺太に赴いた。覺法の渡った100年ほど昔は,日本
人の町として栄えていた頃だ。そしてその地で遷化した。百年と
いう歳月の意味することはよくわからないが,歴史の流れに漂い
泡のように消えていった人達。

 日本人墓地を訪ねた。背丈ほどに伸びた蕗、紫色のルピナス、
薄紅色のハマナスの花、真っ黄色のキンポウゲの花に埋め尽くさ
れ,文字も判読不明になった墓標がわずかにその存在を知らせて
いるかのようであった。

 どこまでも続く花を頼りに歩みを進めると,布教の足跡を語り
かけてくれているよう気持ちになった。ふと、アイヌの伝説の中
に出てくるコロポックルが蕗の葉の下から飛び出してくるのでは
ないかとさえ思えた。

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